医療法人隆徳会 理事長
鶴田曜三先生
第3期生 平成3年
病院経営塾を受けたことにより事業が劇的に発展!!
病院経営とは?株式会社の経営との違いは?今後の医療・介護行政の行方は?先が読めない時代に入り不安を感じている理事長・院長が多いのではないでしょうか?
私は 平成4年に7ヶ月間に渡り病院経営塾を受講し、経営の考え方・決算書の読み方に始まり、理念・経営計画の重要性等を学び目からうろこが落ちるようでした。
平成4年4月にA病院の改築が終了し今後の経営に不安でいっぱいでしたが、受講したことでその後の経営は順調に経過し、老人保健施設・グループホーム・PET画像センター等も増設し現在10事業所を運営するに至っております。
この経営塾は、総論ではなく個々の病院の実情に応じて指導がなされること、各々の不安・疑問に実践的な指導を受けられることが非常にありがたいと感じました。又、夜は受講生と野口塾長を交えた酒宴?も非常に面白い話が出来る機会でした。
昨年10月より指導を受け本年3月には病院機能評価も受審することが出来ました。現在は結果を心待ちにしています。この準備の中で人材は人財であることが再確認できた次第です。
今後の病院のあり方は、選ばれる病院から選ぶ病院になる必要があります。何を特色として打ち出すのか、どういう患者に受診してもらうのか。
病院経営塾を受講されることをお勧めします。

医療法人 博仁会 志村大宮病院
鈴木邦彦 先生
第3期生 平成4年
私の人生を変えた病院経営塾、受講前の人生が遠い過去のものになった
経営を終えた感想を一言で言えば「目から鱗が落ちた思い」と言える。あまりにも強烈な印象だったので、それまでの人生が遠い過去のものとなったような気がした程であった。それまでは単なる経営にも関心のある医師であったのが、この一年で少なくとも経営者となる覚悟ができた。その基礎を作ってくれたのがこの経営塾であった。
何が良かったのか考えてみると、まず参加者五名という少人数がよかった。そのために個別の問題点についてもじっくりと意見を交換し合うゆとりがあった。次に一泊二日という日程がよかった。すなわち合宿ということになり、夜も酒を適度に飲み、夜の東京も垣間見ながら、夜中までいろいろと話し合えた。
さらに、参加者の地理的、年齢的分布がよかったため、いろいろな立場の率直な意見が聞けた。塾長の基礎的な講議が一段落すると、すぐに現場からの意見が出され、理解が一層深まってゆくという好循環が繰り返されるため、知識が身についてゆくという実感があった。
野口塾長には一種の仙人的魅力があり、我々はうまく乗せられたのかもしれないが、とにかく月に一度の塾が待ち遠しく11月には参加者のひとりの地元である宮崎まで出かけ、ゴルフも含めて実地研修をしたし、遂には経営塾終了後も補講と称して定期的に集まって勉強を続けることになったのであった。
個人的にも7月より国立病院を辞め、いよいよ経営者としての道に本格的に入ることになるが、益々厳しくなる経営環境の中でどのように進んでいったらよいか考えて行く上で、経営塾で学んだことや塾長および同期となった先生方とのつながりが私の大きな支えの一つとなることは確実である。
病院経営塾を受講されることをお勧めします。

医療法人 ブレストピアなんば病院理事長
難波 清 先生
第4期生 平成5年
銀行の融資が下りたのは病院経営塾のお陰です
ブレストピアなんば外科を開院しておよそ2年が過ぎ、経営に行き詰まりと疲労を感じていた頃「病院経営塾」を紹介され、一条の光を求める思いで受講を開始した。
回を重ねるごとに、私の中の漠然としていたものが一つひとつ整理され、前向きの姿勢に変わっていき、いつの間にか私が追い求めていたものは夢とロマンに満ち溢れ、生命を懸けるくらいの崇高な目標であることを自覚するようになっていた。
最終回で、経営計画書を披露し、宿題であった遺書を涙しながらもやっとの思いで読み上げたとき、この塾の真の目的が見えたような気がした。
19床から病院への転換と、移転新築への銀行融資が決定したのはその半年後であった。
患者のための理想郷建設という夢、ロマンにかける私たちの必死の思い。それを裏付ける4年間の実績に加えて、なかでも銀行が最も高く買ったのは、しっかりした経営感覚をもった院長像と綿密な計算に裏打ちされた夢・ロマンに満ちた手づくりの経営計画書であったと信じている。

医療法人 北海道循環器病院理事長
大堀克己 先生
第8期生 平成7年
病院経営だけではなく、私の人生をもに変えた「病院経営塾」
昭和56年12月、東京以北で初めての心臓血管外科専門の個人病院をスタートさせた。その後医療法人とし、10年目で第一期の増改築を行い、施設を実質上開業時の倍に相当する規模とすることができた。
当時は、手術もし、経営もしているという自負心を持っていたが、野口塾長と出会って、出たとこ勝負の成り行き経営をしていたことがよく分かった。多忙のため、つい目的を見失いがちになる毎日だったが、塾長の説得力のある講義に新鮮な驚きを覚えた。
病院経営にロマンを持つということは、自分の人生に対して夢と冒険心を持ち続けることだと思う。管理社会の中でいつしか我々は、少年の日の胸踊るような
夢や冒険心を何処かへ置き忘れてしまったのではないか。塾長の講義はそれに気付かせてくれた。まだ遅くはない。ロマンを持って立ち向う価値のある目標は病院経営であると??
経営塾の課題の中で、もっとも驚いたのは、自らの遺言書を書けというものだった。しかし、この課題に向かった時、自分が今まで大切な家族や病院職員に対して、いかに、いい加減な考えで対応してきたかを厭という程、思い知らされた。
今、今後の人生を医療一筋に燃え尽きようと思いを新たにしている。
禅というバックボーンを持ち、人々の指導にあたる塾長の「病院経営塾」が、さらに多くの医師に病院経営のロマンを与え続けることを念じて止まない。

医療法人 松藤会 入江病院
入江 善一 先生
第9期生 平成7年
野口塾長に出会ったことで私の人生は変わった
相次ぐ医療的政策の改変。真正直にいくら働いても改善しない経営。健康を害する程に頑張ってみても、結局は政策の操り人形にすぎぬと悟り、老後の安楽な見積もりへ思いを走らせていた丁度その時、病院経営塾の案内が届きました。一度は申込みましたが、どうせ大した効果は期待出来ないだろうし、東京くんだりまで毎月通うのはしんどい話しとお断りの連絡を致しました。しばらくして次の経営塾にぜひご参加をと塾長直筆の勧誘。昭和1ケタはこんなのに滅法弱い。この人、どんな人なのだろうとふらふらとやってきた。
還暦すぎてあくせくと伸びない経営やっているより、残りの人生、七大陸でも歩き回ってやろうかと思っていた。何度か通ううち、そんな私の思いはいつの間にか雲散霧消していたから摩訶不思議。理想を失うと人は老いると言われ、情熱を失うとき精神はしぼむと悟り、理念を掲げて、短期、中期、長期計画をとそれまで何も考えてもみなかったことに、胸躍らせて取り組んでいる自分の姿に、一体お前のどこにそんなエネルギーがあったのかと影の自分があきれる始末。関西大震災で神戸が通行不能となったのに山陰回って京都に泊まり、翌日東京へと2日かかって塾に参加、何かにとり付かれたか、果ては岡山、広島、四国まで西行し、とれない切符を工面して飛んで行く姿に家族も従業員もあいた口がふさがらない。
こんなにも私を駆り立て、エネルギーを吹き込まれた人物を私は知らない。この経営塾という代物、ニヒルな心のわだかまりを分裂させ、大きな仕事をさせる原子力発生装置みたいなものかもしれない。
大変有意義な半年間だったと思います。
野口先生、本当にお世話になりました。

医療法人 風心堂 小原病院
小原正久 先生
第13期生 平成8年
病院経営塾にはいくら感謝してもし切れない
自分が変わったら職員が変わった職員が変わったら、患者が変わった
こんなにも自分が変わるとは想像もしなかった。
病院の経営に関してはほとんど無知で、医療技術者としてのみの穴を丁寧に掘っていた。それがベストであるとも信じていた。
ところが、開院10年目を機に医療法人化しようと財務状況を調べて驚いた。なんと、自己資本率20%がクリアしないのであった。唖然として、この10年の数字を検討してみた。数字がよく飲み込めない。10年の流れがつかめない。何が何やら分からない。分かったことはずっと「どんぶり勘定」でやってきたということのみであった。そういえば、病院全体がマンネリ化していると気がついた。
そんなもんもんとして過ごしていたある日、「病院経営塾」の広告が目に入った。少人数制の「塾」であることが頭にこびりついた。意を決して申込んだ。第一日目、野口塾長のフィーリングが気に入った。これなら続けられると確信した。
病院経営ということについて私は誤解していた。もっといやらしいものという偏見であった。経済と医療とは車の両輪であるという認識そのものは持ってはいた。それでも、経済優先で数字ばかりいじる。医療の質は二の次である、という偏見であった。それが見事に打ち砕かれた。
院長の最大の仕事は「ロマンを持つこと。後継者を育成すること」という二点であるということ。たったこの二点で両目の鱗を削ぎ落とされた。日曜日は当院では「普通日」なのだが、以来、毎月第二日曜日は休診にして通った。回を重ねるにつれて眼の前の光がさしてくるのを実感した。光をめざして歩き始めることが、少しも苦痛ではなく楽しみとさえなってきた。
そして、教えていただいたエッセンスをもとに、ひとつひとつ実行していったら、なんと、病院全体の雰囲気が変わってきた。職員の目が輝いてきたのだ。トップがまず変わらなければ何も変わらないのだということも、やっと今頃になって分かってきた。今は、希望に輝いている職員の目を見ることが楽しみで、それを自分に対する「ご褒美」として日々励んでいる。職員が輝いてくれば当然患者さんも輝いてくる。それがまた、従事者の喜びにつながっていると感じているこの頃です。
結局、この呑気なトップの「意識改革」を野口塾長にしてもらったとしか言いようがない。
感謝・感謝・感謝の毎日です。

特定医療法人敬愛会 尾花沢病院
渋谷 磯夫 先生
第15期生 平成9年、第53期生 平成19年
病院経営塾によって絶望と恐怖の日々が希望と挑戦の日々に変わった
私は野口先生の病院経営塾に二度参加させていただきました。一度目は病院を開設して5年後の平成8年です。先に入塾された恩師の小原先生が勧めて下さいました。この時は予定の土日にはどうしても参加出来ず、野口先生に水木の個別塾を無理やりお願いしました。今思えばマンツーマンという大変贅沢な時間をいただいたのでした。入塾以前と以後とでは、医療や経営に対する考え、価値観が大きく変わりました。経営の根幹、本質を学ばせていただけたように思います。自分自身と人生を見つめ直し、唯一無二の我が命をどう生き切るか、という命題が立ち現れました。
それまでの私は、国の医療政策に愛想を尽かし、全国展開する二大病院勢力に北と南から挟み撃ちされる恐怖におののき、方向性を見失っていました。昼夜問わない診療と噴出する内部問題などで見も心も崩壊寸前でした。野口塾の体験は全ての問題を本質的視点から捉え直すことで一気に解決していく力を与えて下さったと感謝しています。何より嬉しいのは、自分という人間が、経営を通して成長していくような体験でした。
二度目は、一度目から11年後でした。お蔭様で軌道に乗って安定してきた頃でした。そうなると、元来の怠慢さが頭をもたげて来るわけで、何とかせねばと再度塾の門を叩いた訳です。今度は数人一緒に楽しく学べました。何より野口塾長の吉田松陰先生(お会いしたことはございませんが)のような高き志に触れ、改めてチャレンジ精神が養われました。
野口塾長には、益々の情熱を持って後進の育成に取り組んで頂けるようご健勝を祈念しております。

医療法人 紀典会 北川病院
北川 堯之 先生
第20期生 平成10年
私の人生を変えた病院経営塾、受講前の人生が遠い過去のものになった
病院経営塾に参加しようと考えたのは、他でもない、院長就任後2年が経過した頃だった。特に目立った方針を打ち出すでもなく漫然と過ごしていた。前院長の路線があったとはいえ、何となく物足りなさを感じていた。前院長より色々な経営セミナーのパンフレットを、それ以前よりもらっていたが、参加してみたいという感じよりも面倒くさいが本音だった。しかし、2年経ち、これではいけないと思い、一人の講師が一貫して教育してくださる貴塾(経営コンセプトができないと判断した)に申込んだ。
前日の雪の積もり残った第1回目の初日、貴社研修室に入った時、塾長及び3人の先生方にお会いした途端、何かを感じた。今までの自分になかった何かを求めている眼であった。自己紹介が進むにつれ、これから7ヶ月真剣に頑張らないといけないと感じた途端、”お上りさん”気分が吹き飛んだ。同じ外科医である山梨のT先生、整理力、理解力、見習うべきことがたくさんあった。歯科医である岐阜のK先生、医科とは違う視点を持たれ、特にそのバイタリティには感心し、見習わなければと思った。茨城のR先生、歯科でありながら医科も含めた理事長職は大変なことで、女性らしい考えを感じさせられた。こういった方々に会うと思っていなかったので、経営という視点で観察させてもらい、話しをし、勉強になった。
野口塾長の話は経営という範囲でなく、多岐にわたり興味を引く十二分な講議だった。特に期間中一貫して説かれた禅の話、経営とは禅であると言っているようであった。又、「てんびんの詩」では温かい涙が出、財務管理では悔し涙が出たが、今まで月次報告を見て売上げと利益しか目に入らなかったが、レーダーチャートを作り、法人の財務体質がわかりかけ、如何にどうするかが少しわかりかけてきた。
また、マーケティングでは、今まで考えていなかった患者サイクル(私はマーケティングのABCDは患者と病院の有機的サイクルと思う)が、いかに大切か知らされた一方、現在病院の抱えているリスクも見え始めてきた。
塾長の教えである”ロマンを抱け”に向かってこれからの病院経営をしたいと思っている

医療法人 武川会 武川病院
武川 修 先生
第20期生 平成10年
60歳からでもやり直せる
病院経営塾の説明会に参加、トップの役割は「ロマンを持つこと、後継者を育成すること」そのためには「今後自分は何をやりたいのか、得意なものは何か」を問われ、7ヶ月かかって経営計画を作る決意をいたしました。
経営の基礎は、奇手妙手ではなく当たり前のことを”愚直に”継続し行うこと。定石が大切なことを学ぶ。マーケティング手法ではお客さんが誰なのか、その「誰に何を」提供するのかを絞るのが第一と。これを機に私共の病院の進むべき道が、外科系の急性期医療にありと確信できました。
「医療は非営利」と漠然と認識していた誤りを指摘され、その利益を地域社会には税金として還元し、患者さんには良き医療を提供するための先行投資に役立てんと、生き生きと今後働けます。
最も耳新しくしかも役立ったのは「財務管理」の講議でした。貸借対照表・損益計算書を中心にレーダーチャート作成までのお話しは、これからの病院経営に本当に役立つものと心より感謝しております。
道元禅に接し得たことも忘れられません。禅の主題が「ゼロ」で、その極意が無心(0)に構えて、一心(1)に行動する。禅の極意は「無」の一字なりと。無心に経営・診療に打ち込み、無我夢中に患者さんの事を想い、患者さん・職員と一体感を持ち続ける。禅がこんなにも身近にあるとは考えもしませんでした。
まだ、経営の一歩を踏み出したばかりですが、私なりの夢とロマンを掲げ、これからの人生を歩みます。この年になりいやという程、我が身の未熟さを知らされましたが、一人でも多くの医療人が、先生の門を叩く事を願ってやみません。楽しかった7ヶ月間、本当にありがとうございました。

医療法人芙蓉会 副院長
村上 拓也先生
第45期生 平成16年、第74期生 平成26年
病院の後継者は病院経営塾を絶対受講すべきだと思う
病院経営塾を体験するまでは、「経営学」というと数値のならんだ頭
の痛くなるような内容をイメージしていました。
しかし、 塾長が教えてくださった「経営学」は「ロマン」で、しかもその背景には禅を主体とした人間学がありました。今回、これらの貴重な体験ができたことで経営のノウハウを学んだだけでなく、人間として豊かになれたような気がします。
私の場合は、今現在、経営に直面しているわけではありませんが、いずれ経営に携わらなければいけない立場です。早いうちに経営塾で学ぶ機会を得ることができて、本当に幸せだと思いました。経営計画をまとめたことで、自分の思い描くロマンが、頭の中で整理され、かつ明確になりました。また先に述べたような貴重な体験も加わり、実際に経営に携わることになるまでの期間をしっかり先を見据えて人生設計することができます。
